最近考えるにつけつくづく何もかもが内省の足りなさに帰結するな~ と思う
自他境界が曖昧なのも、他者に興味を持てず人間扱いできていないのも、どちらも 人心≒己の情動 への無理解から発生している気がする。他人と自分は違うんだから自分を理解しても人の心なんてわかるわけない! と思うかもしれないけど現実そんなことないと私は思っていて
生き物に共通する反応をわかればいいだけだから、心をわかる必要なんてないんだよな
人間はほとんどの場合動物的なよくある反射で物事へ反応していて、感情の基本的な起伏はほぼ決まっているもので、それから外れた反応を示す個体はかなり少ない
自己を蔑ろにされる・一人の個体として尊重されないと不快さ・恐怖を感じる、怪我・心身の病気・空腹など体調不良だと不機嫌になり行動ポイントが嵩む
多分一番抑えておくべきなのってここら辺の負の感情の発生とそのバステに伴う行動不良なのに認識できてないのでは…… と思う事も多い。嬉しいことはともかくこっちの負の感情が特殊な人って存在しないレベルなのに
感情の発生する出来事も自分の観測出来る範囲ではほぼ同根の問題で特殊な事例はないんだよな…… まともに礼節を持って接すれば発生させずに済むというか 共感できたこと以外記憶に残っていない可能性は否定できないが、でも共感できんことはできんことで謎……? が強く残ることもあるし
嬉しいパターンについても書けよと思われるかもしれないが
嬉しいことって土台として「不快が発生しない」がかなり重要で、何なら不快を発生させないだけでかなり喜ばれる。経験上。
「良い人なんだよね」くらいの言われ方する人は場合によっては(あ、うわ……)と思われつつ無視される不快(言うほどではないので流されるが、不快ポイント評価は着実に蓄積する)を人にちょこちょこ与え続けている可能性がある
あと一見何かあっても穏やかな人も表情や態度に出していないだけで普通に不快行動されたらウゼ~~と思ってるしポイントは溜まってる。人に「不愉快です、それは直すべきです」の指摘するのって「そっか~」でなく「は? 何それ、そっちが~」みたいな反発だけ返されて行動是正は為されず全損する可能性高いのでやらない人多いんで…… 相手が仮に本当に菩薩でも当人の罪は消えないので「この人は大丈夫!」見積もりすべきじゃない。
それで不快ポイント溜まった状態で通常嬉しくなる行為を行っても無駄、というかそれは「侘び」なので……
そもそも「侘び」を入れずに済むようになりませんかという
完璧になんてできなくても、「相手が不快にならないかな?」と考えること自体が思いやりのある行為だし、保身か思いやりかって人に伝わってしまう
不快にさせないをクリアした上で、相手に興味を示し自分騙り会話泥棒をしないとまあ大抵喜ばれる
相手に興味がない態度は普通に失礼で、無礼者は嫌われるので
長期的には日々の雑談を細かに覚えていられる人は少ないから記憶薄れてても良いんだけど、短期的にその会話をしてる現時点で
訊いたのに返事に興味無さそうにする
- フーン(興味ゼロの相槌)
- へー、そういえばさぁ~(答えた内容にろくにコメントせず自分の話を始める)
- それってさ~じゃないの?(否定するために訊いたかのような上から表現のご意見(なお内容は主旨とズレている))
疑問を呈すなという話ではないんだけど、疑問を指し触りなく相手に伝えるには細心の注意を払い出来る限り礼を尽くした方がいいので脳直で喋ってOK! ではない
そもそもその話をした時点で「相手は自分より多くの時間 話題の内容について考えている」のであって、話を聞いた数瞬で出る脳直反射の疑問には既に達している可能性がわりと高い。それを「こんな意見思い付いちゃったんだけど!」ってドヤ顔されるの 小学生とかならまあいいですけど……
話ズレたけど、人間の反応ってほとんど共通してるから自分が何に不快になって何を有難く感じるかの認識をはっきりさせることは他人のためにもなるよねという話