自分は「その段階の話もう耳タコだから要らね~~」と思ってしまうやつ、意識の段階によっては必要なのかな…… と思っていたけど、でも核心への取っ掛かりになってないなら無意味な気もしてしまう
対処療法は対処療法でしかなくて、後出しで起きたことに対処しそもそもの起点を探らぬ行為は問題の解決を図れているわけではない。

あとまあなんか、人それぞれ作品の 不幸で癒される/幸福で癒される 特性の違いがあるとは思うのだけど
コミュニケーション大間違いの善意や倫理が足りてない人間ばかりがほとんどの作品て悪しきものだと思うんですよね……
人は見たもの、特に多く見た情報をはっきりと刷り込まれるので ああいうのを多く摂取した人間はどうしても近いやり方で対人をやる場面が発生すると思う
これは不法行為が描かれているか否かという話ではないのだが……

接触が多い相手やハマっている作品から喋り方の癖がうつる事は、想像出来る人も多いと思う。あれは実際には目に見える形だけでなく思想も同化していく。何故なら人は言葉によって自らの考えを深め、思想は自らの擦り込みによって出来上がるから。
言葉なしに物事を考えるのは難しく、指し示す名称が決まっていなければ話すこともままならないこともある。言の葉、言い回しの一つ一つにも少しずつ(或いは非常に強力な)思想が宿っている。何事も記憶に留めるには反復が効果的である。だから言葉がうつるのって思想もうつることだと自分は思うんですよねという話。
それから説明を放棄する感じになるけど、作者の価値観ってどんな創作でも見えるよねっていうか、作品内の行いを作者がどの程度に捉えているかって何気ない台詞回しや描き方全部に出るので
あ、これ大したことと思ってないな……!? とかがあるとhm………… になるよね……