絵が上手くなるにはの話
自分はMAX怠惰な自分を想定しているから「まあ10年くらい経ったらちょっとは上手くなってるだろ」と思っていて 人にオススメできんな~とよく思っているんだけど
ただ自分が「面倒くさいという気持ちは誰にも負けない」と思っているのをいったん置いておいて、私は私の怠惰さは割合普遍的だと思っていて
超ざっくりいうと「大体の人間はレベルスキップできるほどゴリゴリストイックに経験値積みしようとしたら負荷に耐えられず心、あるいは身体、それか両方壊すでしょ」ということで

勤勉さと精神の強度の釣り合いって無視すると 心を壊す=精神を病む と思うんだけど自覚ない人多いよなと思う
生まれ持った性質によってその行動規定にどれだけの負荷を感じるかは違うとは思うんだけど、多かれ少なかれ「すべきと決めて為す」ことで誰しもストレスを得る筈で、そしてそのストレスを自分はどれだけ抱えても平気なのかは認識しておくべきだと思う。
そういうの、思索が足りないというより皆心も身体も壊すまでは『自分は壊れない』とかなり本気で思ってそうなんだよな…… 自分に負荷がかかっているとも負荷を調整すべきとも思っていない
あと先達が口を揃えて「壊してから直しても元には戻らぬもの、壊す前に正すのが最善」と言っているのに何故これが流布しないのかマジで謎 やはり人間はど派手でどでかい負債が発生しないと反省などできない生き物なのだろうか…… みんなタイタニック号のwikipediaを読もう こんなに半端ない負債を得るまで人は行いを省みることができないのだということがよくわかる

で、それが絵、絵に限らず物事の上達とどう関係があるか
どれだけ追い込めるか=修練のスケジュールや内容をどれだけ過密にストイックにできるか、すべきかを考える際に必要になると思う
負荷耐久力は日々のコンディションや状況変化で変わるので一定ではないけれど、何にせよ自己を見極め得手不得手を認識し限界を予測し転ばぬ先の杖を常に用意することが「壊れぬため」必要ではないか
それでまあ先述の通りやはり壊れず継続できることは「上達」する上で重要なことで、自分が壊れぬ地点≒積める経験値 を可視化できれば成果の目処もつきやすいんではないか まあそれはやや飛躍した話だとは思うんだけど、実際は具体的に積めることからどのように上達の見込みを計るかはすぐに判別できないし、ある程度理解しても曖昧なものではあるので

何故こういうことを考えるのかなーというの、激重負荷を実行できる才能持ちは放っておいても勝手に火の中に突っ込んで帰ってくるけど凡人は死ぬからかもしれない
神に与えられてしまったごく一部の人間以外も何かに対して足掻ける方がいいよねと思うし、迷う人の道標の欠片になれたら世界が良くなると信じたい